昨日、旧ソ連邦から札幌医科大学に全身熱傷を負って搬送されたコンスタンチン君、通称コースチャーのことがテレビで放送されていました。
搬送された1990年は、私が医師として歩み始めた、まさにその年。
そして日本中の人々が注目した、その只中に私もいました。
当時の知事は衆議院議長も務めた横路知事。
救急部教授が和田心臓移植のスタッフ、金子正光先生。
麻酔科教授は並木先生。
そして皮膚移植を担当したのが、東京警察病院から帰学し皮膚科内形成外科診療班を率いていた阿部清秀助教授のグループで、私もその一員でした。
我々1年目の医師に課された使命は、アログラフト。
すなわち、亡くなった患者様から皮膚の提供を受け、その皮膚を採取すること。
たとえ他人の皮膚でも一時的に皮膚は生着し、生命維持に多大な働きを示します。
これでコンスタンチン君は救われた。今でもそう確信しています。
研究室の片隅で、「アロだ、アロだ、アロだ」と叫んでいた阿部先生の声を今も覚えています。
この皮膚を集める作業には、我々以外にも、現在は東京の某医大の集中治療部の教授職に就いておられるI教授も手助けしてくれました。あ、某国立大学の麻酔科教授、U先生、後に私に最初の美容外科の手ほどきをしてくださった札幌形成外科病院の院長、有賀昭俊先生も。
家内とは、札幌形成外科病院で知り合いました。
異国の子供を助けるためオール北海道、オール札幌医科大学で取り組んだのです。
コースチャーの後にも、セルゲイ君、イーゴリさん、ビオレッタさんと重症熱傷の搬入は続き、そのおかげで、皮膚を採取するのは非常に上手くなりました。
マイナスから正常へが形成外科医。
正常をより良くが美容外科医。
この体験が私の人生を方向付けたと思うと感慨深いです。
現在お世話になっております大塚美容形成外科の大塚院院長の石井先生の師匠、平林先生、総院長の阪田先生、両先生共、阿部先生と同じ職場で勤務経験があるそうで、不思議な因縁を感じます。
昨日のテレビ番組を見て、まだ青い時代の自分を思い出していた次第です。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Ningen/yakedo/sub_yakedo.html

